[両刃のメス]第1部 患者(6) 不信の芽 手術の説明 父親外す

連日流れるニュース。病気腎移植の正当性を主張する宇和島徳洲会病院の万波誠医師(66)を見るたびに、宇和島市の夫妻の胸にいたたまれない感情が込み上げる。万波医師の執刀で四回の腎移植手術を受けた長男の古田武さん=仮名=を五年前、二十九歳で亡くした。「何回も痛い目を繰り返して。息子は本当に幸せだったのだろうか」
 中学三年の冬、尿毒症の末期症状が現れた。慢性腎炎と診断されて六年間、市立宇和島病院の小児科で投薬治療を続けてきたが、「これ以上は泌尿器科医に任せるしかない」と促された。
 「どうして早く来なかったの。君のことは気に掛けてたんや」。胸のポケットが破れかけた白衣を着た万波医師は、心安く切り出した。そしてカルテに視線を落とし「お子さんの命を助けるには移植か透析しかない」と言い、血液型を尋ねた。
 本人はA型、父はAB型、母はO型。「移植するなら、まずはお母さんからだな」。医師の言葉を聞いた瞬間、武さんは後ろを振り返り「お母さん、お願いや。腎臓ちょうだい」とすがるような表情を見せた。青白い顔に一気に生気が戻ったように感じた。
 「子どもが欲しいと言うなら、喜んで」。母親は決意し、最後の了解を得ようと診察室の外で待っていた父親を呼び入れた。その時のことが脳裏に刻まれている。
 「あんたは関係ない。お母さんとお子さんの問題じゃ」。万波医師は手を振り、入ってきた父親を追い払った。「何でこんなに大事なことを家族で相談したらいかんのか」。今も夫妻が持ち続ける万波医師への不信感が芽生えた。
 ただ「息子は先生に心酔してました」。腎臓移植手術を受け、一年遅れで地元高校に入学した武さんは、万波医師を信頼し、傾倒していった。
 万波医師に「好きな物をどんどん食べたらええ」と言われると、武さんは親の忠告は聞かなかった。術後に六〇キロだった体重は一年後には一二〇キロに。飽食を止めたのも医師の一言。「おまえ、何でそんなに太ったんや。ええかげんにせえ」。三カ月で三十六キロやせたという。
 高校卒業後、調理師の道を選び、松山市の調理師専門学校に進学した。そして楽しみにしていた二度目のパリへの研修旅行。その直前、健康診断で腎機能が悪化していることが分かった。移植から五年が過ぎていた。
 今度は父親から提供された腎臓で。手術の当事者の武さんと父親だけを診察室に呼び入れて手術内容が説明された。母親は蚊帳の外だった。
 「先生が何でそんなことをするのか分からない」と両親はいまだに首をひねる。そして万波医師がインタビューで答えている言葉には異論がある。「先生は手術前、家族によく説明すると言っていますが、そんなことはなかった」

愛媛新聞 - 2006/12/18